【夙川】夙川公園竣工(昭和12年5月)
更新日:2024年11月22日
ページ番号:93340476
夙川公園は昭和12年3月に竣工し、その式典は5月17日に行われました。現在、桜の名所として知られていますが、戦前は遠くから一目でわかるほど多くの松が生い茂る一大緑地帯でした。
1 都市計画公園
第1次大戦後の好景気にわく中、武庫川の改修で枝川・申川が廃川となり、芦屋川、住吉川、石屋川はそれぞれの町村で改修され、残ったのは夙川だけとなります。民間から改修後の用地の払い下げや川の埋立ての出願があり、西宮市は夙川の景観を守るため都市計画公園として整備することを国に再三申し入れをします。
努力の甲斐あって、昭和7年に都市計画決定されました。財源の約3分の1は沿道の市民(受益者)の負担金と寄付金でまかなわれています。河川と公園と街路を一体化した事業への受益者負担の適用事例は全国でも例がなく、夙川公園は行政とともに市民がつくった公園といえます。
2 松林の夙川公園
大正10年ごろの阪神香櫨園駅南側に架かる夙川橋です。広い川幅の白砂の中央に水が流れ、両岸に松が群生しています。戦前は河口に阪神間随一と称せられた香櫨園海水浴場、苦楽園には鉱泉場があり、往時より人々の憩いの場として親しまれた場所です。
昭和12年5月17日に行われた夙川公園竣工式の写真です。
西宮芸妓の案内で、仮橋を渡り祝宴場へ。紅白の幔幕(まんまく)に彩られた模擬店などが軒を並べ、盛会の様子が伺えます。
3 橋めぐり
葭原橋(あしはらばし・昭和30年代)
公園整備工事でかけられた橋です。村上春樹氏の小説にも登場し、近年注目を集めています。
翠橋(みどりばし・昭和30年代)
この橋も整備工事で建設されました。昭和7年11月1日、夙川公園の起工式はこの橋の東側下手で行われました。
新翠橋(しんみどりばし・昭和32年)
戦中に燃料用として松が伐採され、趣を減じたことを憂え、昭和25年頃、当時の市長辰馬夘一郎氏は夙川を始め満池谷、甲山などに一千本の桜を植えました。これにより、夙川公園は桜の名所となりました。
川添橋(かわぞえばし・昭和32年)
竣工当初、「御添橋(おぞえばし)」とよばれていました。現在もその趣を残す美しい橋です。
夙川橋(しゅくがわばし・昭和32年頃)
第二阪神国道(国道43号)が整備される直前の夙川橋です。大正時代の橋とはずいぶん趣が異なります。
夙川橋(しゅくがわばし・昭和49年)
阪神国道(国道2号)に架かる橋です。路面電車は昭和49年3月に廃止になりました。写真を走る電車はその最後の姿です。
片鉾橋(かたほこばし・昭和46年)
虹の橋ともいい、昭和40年に架けられました。片鉾池周辺は、明治40年ごろ香野蔵治氏、櫨山喜一氏によって開拓され、両氏の姓の一字を取り合わせて「香櫨園」と称し、ウォーターシュートのある遊園地やホテルなどがありました。
羽衣橋(はごろもばし・昭和4年)
新しく架けられた羽衣橋、その向こうに旧羽衣橋の橋脚が見えます。旧羽衣橋は「香櫨橋」とも称していました。
こほろぎ橋(昭和40年代)
竣工当時に架せられた橋です。昭和34年製作の映画「細雪」でも登場しています。
大井手橋(おおいでばし・昭和5年)
大社村との共同事業で行われ、下越木岩と西宮市を結ぶ橋です。この頃は雑草が茂り、堤には歩く道もなく、荒れていたようです。
苦楽園橋(くらくえんばし・昭和12年)
昭和12年11月に竣工しました。両岸に松が生い茂っているのがわかります。橋の向こうには阪急電鉄甲陽線の鉄橋、甲山も見えます。
<参考文献>
『西宮市広報』第67号(昭和7年7月20日)、第71号(昭和7年11月20日)、第126号(昭和12年6月20日)
『夙川公園概要』(西宮市/昭和12年5月発行)
『大社村誌』(大社村誌編纂委員会/昭和11年7月10日発行)
『西宮市事務報告書』
『パークウエイとして整備された夙川公園の特徴とその意義』(越沢 明 国際交通安全学会誌Vol23.No1)
リンク
お問い合わせ先
西宮市六湛寺町10-3 市役所本庁舎3階
電話番号:0798-35-3740
ファックス:0798-37-0165