【西宮神社】えべっさん 開門神事福男選び
更新日:2022年1月25日
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西宮神社は全国で祭られている戎神の総本社として、人々の信仰を集めています。戎神は元来漁業神ですが、のちに商業神、福神となり、民間信仰の中でとくに親しまれている神様といえます。毎年1月9日から11日は十日戎の祭礼が行われます。10日早朝の「開門神事福男選び」は、近年テレビ中継をされるようになり、その名を全国に知られるようになりました。
祭礼は「御狩神事(みかがりしんじ)」「居籠神事(いこもりしんじ)」といわれています。鎌倉時代の記録にも残る古くからの神事です。夕方になると町内の各家々は戸口から通りが見えないようさえぎり、門松を逆さに立て枝葉を縄で縛り、夜は明かりをなくし参詣もひかえ、お通りになるえびす様を静かにお迎えしました。西宮神社ではいまも年末のすす払いとともに逆さ門松を飾っています。
1 開門神事福男選び
「走り詣り」は江戸時代頃から行われていましたが、「福男選び」は昭和15年、「一番詣り」の参拝者を称えたのが始まりです。ほかに「福つかみ」「福男一番争い」という名称もあります。
昭和20年8月7日の空襲で、西宮神社は本殿をはじめ主だった建物は焼失しました。そのなかでも祭礼はずっと行われ、人々に福を授けてきましたが、戦災の被害は大きく、福男選びは昭和28年まで行うことができませんでした。
御狩神事のため1月9日の深夜12時に表大門(赤門)は閉じられます。そして10日午前6時、表大門の開門と同時に、本殿までの参道約200mを全力疾走で駆け抜け、3着までが福男に選ばれます。
福男にはえびす様の御神像と証書が贈られます。今ではこのほかにえべっさんのお米や日本酒、八喜鯛(やきだい)、えびす面、法被(はっぴ)などが贈られます。
2 もうひとつの福つかみ 復興戎くじ
空襲により本殿が焼失したため、昭和22年には仮本殿が建てられます。空襲被害は周辺の氏子もまた同じであり、神社の再建はなかなか難しい状況でした。何とか復興しようと始まったのが「戎くじ」です。昭和25年から本殿が復興する昭和36年まで行われ、1回百円の寄進で、千口を一組とし抽選を行いました。毎年50万人ほどの参拝者でにぎわう十日戎に、もうひとつその年の福をうらなう行事となりました。商品は四斗樽・活け鯛など豪華なものや、お札や福笹、福面が当たりました。
3 持ち帰る福 福笹
笹は古来から神事のお清めなどに用いられてきました。縁起物に笹が用いられるようになったのは江戸時代頃といわれています。「商売繁盛で笹もってこい」の掛け声からも、もともとは参拝者が笹を持ってきて吉兆店で小判や俵などの縁起物をつけてもらいました。
戎くじの景品の一つに短冊をつけた紙の笹を用いたことがきっかけとなり、本殿復興後、福笹として授与されることになりました。
4 縁起物 吉兆
1700年(元禄期)頃から西宮神社のお札の量が激増し、吉兆(きっきょう)などの店も数多くなったといわれます。えびす面や熊手(さらえ)、福箕(ふくみ)、福笹につける縁起のよい飾り物が所狭しと並びます。
インフレに比例して飾り物もだんだん大きくなっていきます。とくに目を引くのは福俵でしょうか。その昔田植えのときの残り苗を洗って乾燥したものを使っていましたが、昭和30年代は畳表で使われるい草で作りました。
5 こどもも楽しみ 露店
お面やこまなどのおもちゃ、「噛んでも噛んでもおたやん」といわれたお多福さんの福あめ、素焼きの壺に流し込んだ粟おこし、通称「壺割岩こし」、金平糖、生姜板、豆板、こぼれ梅、小判型の軽焼やスイトン(青竹に入ったゼリー)などが売られていました。お化け屋敷やサーカス、のぞき穴、輪投げなども人気があったようです。
6 招福マグロ
本殿でお参りするのとは別に人々が並んでいるのを目にされる方もおられるでしょう。招福マグロに硬貨を貼り付けて願をかけるための列です。
毎年、西宮鮮魚卸商組合が鯛を奉納していました。昭和45年、神戸市東部水産物卸売協同組合が開設され、大漁を願って鯛と300キロほどの本マグロが奉納されました。大マグロ奉納の始まりです。鯛は本殿に供えられますが、マグロはその大きさのため拝殿に供えられています。
7 えびす顔でおかえりを
帰り道、どの顔もにこやかで、早く福を持ち帰ろうと思うのか、急ぎ足が目立ちます。「寄り道しないほうがいいですか?」「まっすぐにお帰りになって、早く家族の方々に福をお頒ちください。」神社では問われるとそう伝えているそうです。
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