戦争体験談「大阪大空襲等について」
更新日:2021年9月21日
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大阪大空襲等について
吉見 健作
うちの母は昭和3年生まれで
17の時に勤労動員に駆り出され
空襲も体験しています。
昭和20年ごろは日坊貝塚工場には連日のように
空襲があり米軍パイロットの顔が見えるほどまで接近して
いたそうです。
みんな空襲警報で陰に隠れているとき母が少し動いただけ
で「動かんとって!!」と叫ぶ声がしたそうです。
大阪は昭和20年3月20日、6月10日、20日に空襲があった
そうです。うちの家も焼かれて溶けた銅銭硬貨がありました。
うちの父は大正15年生まれで、当然、兵役につき
ましたが、和歌山の御坊には敵の上陸がなくおかげで生き
て帰りました。
平成28年7月14日寄稿
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