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戦争体験談「私の体験した甲子園の空襲」

更新日:2021年9月21日

ページ番号:15937321

私の体験した甲子園の空襲


田村 房子(92歳)


 
 私の家は兵庫県武庫郡鳴尾村月見の里にありました。阪神甲子園球場から歩いて5分もかからない住宅街です。球場に隣接して、素戔嗚神社がありました。その頃の甲子園周辺は大きなお家ばかりで、私の家は部屋が50以上あるアパートを営んでおりました。
 そして今では想像もつきませんが、球場から鳴尾浜までは、松林が延々続いていました。鳴尾浜まで行くには、松林の中を歩くか大きな車道の横の歩道を歩くかでした。その松林の中にグリル(レストラン)があり、よく姉と洋食を食べに行きました。
 鳴尾浜まで歩くと、突き当たりに阪神パークがあり、そこに行くのも楽しみでした。
 私はその頃、甲子園女学院の二期生で、甲子園球場の蔦の壁沿いを毎日のように通り、バスで甲子園から上甲子園まで、時には阪神電車で甲子園口まで乗り、甲子園女学院に通っていました。楽しい学生時代でした。
 お休みの日はお気に入りのワンピースを着て、籠を持ち、鳴尾まで苺を買いに行くのが何よりも楽しみで、幸せの日々を過ごしていました。
 
 ところが第二次世界大戦。戦況が酷くなると、私の家のアパートは、軍需工場で学徒動員として働く関学や同志社の学生達を大勢受け入れる事になりました。
 もちろん私も学徒動員として、逆瀬川の東洋ベアリング軍需工場で、女工さんと一緒に働くようになりました。
 兵隊さんが使う鉄砲の部品を作る仕事です。
 その工場では甲子園女学院の女生徒と市立西宮高校の女生徒と、関学の男子生徒が働いていました。よく西宮高校の女学生と小さなケンカをしたのを覚えています(笑)。
 学徒動員の仕事が終わり家まで帰る途中に、B-29に一度追いかけられたこともありました。
 幸いにも隠れて難は逃れましたが、後から見ると壁に弾丸の跡があり、恐怖を覚えた記憶があります。
 
 8月5日、午後10時頃、空襲警報が発令され、母と姉と3人で家の前の防空壕に逃げ込みました。
 その時です。
 空の上から手紙のようなものが落ちてきました。
 読めばカタカナで『私達はあなた方を殺しにきたのではありません。数時間後ここを空襲します』といったような内容の手紙でした。その時、私達はその手紙を信じる事ができなかったのでしょう。周りを確認して家に戻り、真っ暗な中で息を潜めていました。
 夜中未明…警戒警報から空襲警報に変わりました。警戒警報のサイレンは比較的ウーウーとゆっくりなのですが空襲警報になると短くウッウッウッと迫ってくる鳴り方に変わります。
 急いで洋服や着物を持って、再び家の前の防空壕に行きました。荷物は防空壕の上に置いて(これが燃えたら終わりかも…)と。B-29のブーンという低い音が近づいたと思うと、あたりは照明弾で昼間のように明るくなり、焼夷弾や爆弾が雨のように落ちてきました。あちらこちらで爆弾音がなると、焼夷弾が防空壕の上の洋服や着物に刺さり燃えました。
 私の家も爆弾を落とされて、みるみるうちに燃えていきました。辺りは火の海です。怖くて怖くて、その時の気持ちは言葉には出来ません。震えていました。家の中には可愛がっていた「はっちゃん」という猫と「カナコ」というカナリアが共に家から出る事なく焼け死にました。辛かった。本当に辛かったです。
 
 
 夜が明けて防空壕から出ると、あたり一面焼け野原。影も形もない我が家が、目の前にありました。私が不器用だからとお母さんが買ってくれたミシンの足がひっくり返り虚しくまわっていました。
 畑の中に隣家のおばさんが座っていたので歩み寄ると、頭から血を流して亡くなってました。
 甲子園球場まで歩くと、そこには亡くなった方々の遺体が球場に沿って並べ置かれていました。
 あまりにも悲しすぎて涙も出てきませんでした。
 そこから母の郷里、和歌山の有田に疎開する為、向かうのでした。
 
 これが私の空襲体験です。
 
 二度とこんな辛い悲しい戦争があってはならない。
 
 誰の為の戦いなのか。一体誰が得したのか。こんな戦争の為になぜ死ななければならないのか。楽しかった日常が、あっという間に地獄に変わった瞬間をいまだに引きずって生きています。
 人間は、過去から学ばなければなりません。過ちを二度と繰り返さない為に。
 私は、92才です。よくここまで生きました。戦争時は子供でしたから、この戦争の愚かさを後世に語り継げるギリギリの年代かもしれません。実際に何が起こったのか、今のご自分の幸せな日常と、私の幸せだった日常を重ね合わせてみてください。その先、何が起こってはならないのかが見えてくるはずです。
 生きている間に、このような体験をお伝えする事ができて良かったと思います。

令和3年8月10日寄稿


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