戦争体験談「満3歳時の記憶」
更新日:2024年7月31日
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満3歳時の記憶
吉川 定義(82歳)
私は昭和17年7月生まれ、終戦時満3歳でした。
空襲の記憶としては、阪急西宮北口の車庫近くに爆弾が落ち、それを父の背中より見た事と阪急甲陽園の西側でトンネル工事をやっており、兵隊(?)がトロッコで土砂を駅の北側の池に運んでいた事、西宮北口の両度町にグライダー工場と航空錬成場、戦後、北口会館になった所に旧日本軍の92式重爆撃機が展示してあった事。
戦後、広田神社の参道に鉄に穴をあけられた容器状の物がならべられていた、又、甲陽園のトンネル工事現場に鉄カブトがすてられていた事、私の父によると機関砲の玉が多量に放置されていた様です。
3歳でしたので、上記した程度が体験です。
戦後、アメリカ博で両度町近くはすべてなくなった様に感じております。
以上です。
令和6年7月26日寄稿
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