8月号 西宮に花ひらいた映画の文化
更新日:2017年8月30日
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放送日 | テーマ | 音声配信 |
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8月7日 | キネマ旬報の西宮時代 | |
8月14日 | 西宮にあった撮影所 | |
8月21日 | 西宮ゆかりの映画人 | |
8月28日 | 西宮ロケ地めぐり/質問コーナー |
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2008年、阪急西宮ガーデンズがオープンし、西宮に映画館が誕生しました。映画は私たち市民にとって身近なものになりましたが、実は、かつて西宮には小さな映画館があちこちにあり、また、映画の撮影所や映画雑誌の編集部があったりと、西宮には映画の文化が根付いていたのです。そして、現在も西宮にゆかりのある映画監督などが活躍しています。今回は、戦前から現在に至る西宮と映画との関係をご紹介します。
【第1話】キネマ旬報の西宮時代
再来年に創刊100年を迎える映画雑誌「キネマ旬報」の編集部が西宮の夙川沿いに置かれていた時代があり、当時の雑誌の一部(原版・復刻版)を関西学院大学図書館が所蔵しています。それは多くの映画関係者が阪神間に集結していた時代でもありました。
【第2話】西宮にあった撮影所
西宮での本格的な映画製作は大正12年(1923)、東亜キネマが総ガラス張りの豪華なスタジオを甲陽園に建てたことに始まります。邦画全盛期に入った昭和28年(1953)~31年(1956)、両度町にあった宝塚映画のスタジオでは、多くの時代劇や現代劇が撮られました。
【第3話】西宮ゆかりの映画人
名塩でロケが行われ、今月26日公開の『幼子われらに生まれ』の三島有紀子監督は、神戸女学院大学の出身です。西宮ゆかりの映画監督や俳優のエピソードに光を当ててみましょう。その昔、無声映画時代のスター・岡田時彦(女優・岡田茉莉子の父)が夙川で亡くなった折、弔辞を述べたのは、文豪・谷崎潤一郎でした。
【第4話】西宮ロケ地めぐり/質問コーナー
昭和34年に封切られた『細雪』には甲山や阪急甲陽線が、村上春樹のデビュー作を映画化した『風の歌を聴け』には今はなき西宮球場が、平中悠一・原作『シーズ・レイン』には夙川の住宅街や西宮マリーナが登場します。蓬莱峽や白水峽は『隠し砦の三悪人』(黒澤明監督)『あずみ』(上戸彩主演)のロケ地となりました。
毎月第1~3週に1題ずつクイズを出題し、4週目に答え合わせをします。
全問正解者の中から抽選で1名様に、図書カード3,000円分をプレゼントします!
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