戦争体験談「戦争のことを、次代へ」
更新日:2021年9月21日
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戦争のことを、次代へ
加賀 保子(79歳)
1945年8月15日、日本はアメリカに敗戦した。私は、西宮市に父母と祖母と住む7才の女の子でした。まだ小さかったので、自分でどうこうするには、小さかった。もう、2~3才大きく生まれていたら、と思うことはありました。そしたら、もう少し、話もできるのに、ということです。学年が進むと『社会』に関心があったので、よくそう思ったものでした。
ある日から、父母がヒソヒソ話すのがどうしたのか、と気になった。お父ちゃんは、泣いていないけど、ヒソヒソ話をするのがどうしたのか判らなかった。今まではそんなことはなかった家族なのになあと、どうしたんだろうと、子供心に思ったけど、「ねえねえ」と私は言えずにいた。7才の私が決めたのは、黙っていること。いつか、誰かがきっと教えてくれる。そう思った。
やっぱりお母ちゃんが話してくれた。「お父ちゃんが、兵隊さんに行くんよ」
「そうなん」私はそう言った。
「そやから、保ちゃんもお手伝してな」「うん、いいよ。早く帰って来て欲しい」
「そやなあ」お母ちゃんは急ぐように台所に行った。泣きに立ったんだろう。
「それから、これから忙しくなるから、お母ちゃんを手伝ってや。おばあちゃんもな」私は首をたてに振って、いつものように笑顔を見せた。その時、兵隊に行く人にくる『赤紙』を見せてもらった。
お母ちゃんは、しばらくして、なんか元気をとりもどしたように、笑顔で、私の座っているとこにもどって来ると、笑顔でくるっと廻って私を見た。ちょっとおどけて、「お母ちゃんも、おばあちゃんも居るから心配せんでええよ。」私はうなずいた。お母ちゃんは、何度も台所へ行ったが、お母ちゃんはきっと、涙をふきに行ってるんや、と私は思った。
でも、私の前に来たら笑顔やった。私とおばあちゃんに「手伝ってね」と何度も言った。私はうなずいて「やるよ」と言うと、おばあちゃんに「がんばろうね」と言った。
その日の夜、お父ちゃんが「淡路のおばあちゃんの所に行こか」と言った。「いつ行くの?」 「明日やで」と。 「うん、行きたい」
そして、淡路島に居るおばあちゃんの家に向かった。
当時はJRとは言わないで、国鉄と呼んでいた。おばあちゃんの所には、明石で降りて海に着くと、船が待っていた。よく行っているので、「ほら船待ってるよ…」と、お父ちゃんをせかす所。今日は違った。明石の駅に着くと、ホームはいっぱいの人とざわついた様子に、お父ちゃんは私の手をしっかり取ってくれた。人々は判らないけど、いつもと違うことに「何が…」と思った。お父ちゃんの手が私の手をしっかりと握ってくれた。はぐれんようにな…と。
「どこからか声がした。」
今から天皇陛下の大切な話をするとのことが、人から人へも伝わった。
「どうしたん?」お父ちゃんも無言になり、私の手に力を入れた。
知らない男の人の声が、どこからか聴こえてきた。どこからか男の人が泣いている。
お父ちゃんが高い所を指さして、「あそこから天皇陛下さんが話されているんや。誰もこの人の声を聞いたことないんやで、保ちゃんもしっかり聞いときや。日本が戦争に負けたんやって、あそこから言うたはるんやで、よう聞いときや」
そう言うけど、いつもお父ちゃんやおっちゃんらが言うのと全然ちがうから、7才の私は判らなかった。何を言ってるのか。
それが終わると、お父ちゃんが言った。「今日はおばあちゃんとこはやめとこ。お母ちゃんとこに帰ろ。」
「なんでなん?」
「帰ったらゆっくり話すからな。お母ちゃん待ってるからな…」
そう言うと、ホームを替えて西宮に帰った。
いつもやったら、電車から見える海のことや、何でも知ってるお父ちゃんは空の雲の話などしてくれるのに、黙っていることが多かった。
家に着いて、お母ちゃんの顔やおばあちゃんの顔を見て、私もホッとした。お母ちゃんは、淡路のおばあちゃん元気やったかとも言わず、「お腹空いたやろ」と。おにぎりを食べた。なんかほんまに、お腹が空いた。
お母ちゃん達は、ラジオで知っていた。そして、家の中がふわっとしている空気のことも、大人達が教えてくれた。当時は個人の家には普通は電話もない。電報がある位だった。
お父ちゃんに来ていた『赤紙』も『白紙』になった。戦地に行っていたら、命があったかどうかも判らない。ギリギリの所でお父ちゃんは兵隊に行かず、60代でも働いて私達を守ってくれた。戦地に行くことはなかったが、後の人生の多くは消防団員として、何かあると走って行った。
お父ちゃんも、お母ちゃんも、おばあちゃんも、みんな亡くなった。私も、もうすぐ80才。いい機会やなあ、とペンを取りました。2人の娘と2人の孫、平和が続いてくれることを願っています。明るい家庭が…、そして笑顔が続くように願いながら…ペンを置きます。
平成29年8月8日寄稿
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