9月号 西宮の都市農業の発展~その歴史と技術~
更新日:2019年10月10日
ページ番号:62836858
放送日 月曜20時30分~ | テーマ | 音声配信 |
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9月2日 | いかにして都市農業は発展したか | |
9月9日 | 鳴尾は都市農業の先駆け | |
9月16日 | 軟弱野菜の周年栽培 | 9月16日放送を聴く(音楽ファイル(MP3):27,176KB) |
9月23日 | 都市農業の現状/質問コーナー | 9月23日放送を聴く(音楽ファイル(MP3):27,188KB) |
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9月号概要
西宮市の農業形態は、市中心部にある六甲山を境に大きく2つに分けられます。六甲山より北の地域は棚田や平地での水稲生産が中心で、南の地域は都市農業の側面が強く、小松菜やほうれん草などの軟弱野菜が多く作られています。西宮を含む阪神間は、早くから都市農業が発展してきました。今回は、その歴史と技術について、技術士の京啓一さんに教えていただきます。
【第1話】いかにして都市農業は発展したか
武庫川に連続堤を築くことができ、17世紀に武庫川下流域に新田が開発され、18~19世紀には埋め立てにより海岸部に新田が開発されます。水田では水稲-菜種、畑地では綿-大麦が作られました。そして、砂壌土による野菜の早熟栽培が盛んになっていきます。
【第2話】鳴尾は都市農業の先駆け
新田開発された鳴尾地区は砂がちの農地で、明治時代には、サツマイモ、綿の産地として発展。その後イチゴが導入されて一躍有名になり、イチゴ狩も行われました。そこに阪神電鉄が開通し、遊園地、競馬場、ゴルフ場、甲子園球場もでき、鳴尾は昭和の初めまでに、現在の都市農業がたどる道を経験します。
【第3話】軟弱野菜の周年栽培
水田の裏作で漬菜が作られていましたが、1960年以降の高度経済成長で都市への人口集中が始まり、日用の野菜である軟弱野菜の需要が高まりました。1970年の大阪万博以降は、軟弱野菜の周年栽培が、開発された技術とともに確立されていきます。
【第4話】都市農業の現状/質問コーナー
1968年に新都市計画法が施行され、多くの農家が将来宅地化してもよいとする市街地区域を選択しました。ここから宅地並みの課税問題が起こります。都市に残された農地をどうするか、市民全体の問題として皆で考えていきましょう。
プレゼント
毎月第1~3週に1題ずつクイズを出題し、4週目に答え合わせをします。
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