にしのみや歴史見聞録 東山弥右衛門の墓(名塩2丁目)
このコーナーでは、西宮の歴史スポットを紹介します
名塩紙の祖 東山弥右衛門
※アクセス…阪急バス「名塩西ノ口」
バス停下車、東北へ徒歩約7分
西宮の重要無形文化財「名塩雁皮紙(がんぴし)」。山間地域で耕地が少ない名塩は、紙すきの里として発展しました。紙すきの技術はいかにして伝えられたのか。いくつかの説がありますが、現在も墓が残る「東山弥右衛門」を名塩紙の祖とする説が残っています。
江戸時代初期、名塩に住む東山弥右衛門は貧しい故郷を豊かにしたいと、紙すきの盛んな越前(現在の福井県)にその技術を学ぼうと赴きました。
しかし、越前の紙すきの技術は門外不出。よそ者だった弥右衛門には教えてもらえません。弥右衛門は紙すきの家に養子に入り、熱心に働いたことが認められ、ようやく紙すきの技術を教わることができました。
越前では妻子にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていました。しかし、貧しい故郷のため紙すきの技術を伝えようと妻子を捨てて、名塩に戻りました。
その後、弥右衛門の伝えた技術により、名塩は大変繁栄しました。
名塩紙は泥が入っているため丈夫で、江戸時代の藩札の原紙として使われました。現代でも文化財の修復に使われるなど名塩紙の歴史は続いています。