ブラジルで活躍した西宮市出身の人々
更新日:2019年2月1日
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今から90年ほど前の昭和時代初期、西宮市からブラジルに移住されブラジル日系人社会の礎を築き、ブラジルと日本をつないだ西宮市出身の方々をご紹介します。
(写真は パラナ州日本移民100周年記念式典)
弓場 勇 1906年~1976年
西宮市塩瀬町名塩出身。代々村長を務めた弓場家に生まれる。三田中学に学んだのち、1926年、一家あげてブラジルに移住、サンパウロ州アリアンサに入植した。三田中学で投手として活躍した勇は、アリアンサ野球チームを
結成、1930年には汎ノロエステ野球連盟を結成した。1935年には、「大地に根ざし農に生きる文化の理想郷」を
築くため、共同生活を行う弓場農場を設立した。奥地産業の改革をめざし、「産業青年同盟」を設立、いち早く
養鶏に取り組み、1945年には南米一の養鶏場となった。1961年、農場で働く人自身が踊り手となる
ユバ・バレエ団を設立し、「勤労と祈り芸術を愛する共同生活」をする芸術村として、ブラジル国内で有名となる。その活動は日本でも度々紹介され、1978年と1991年には西宮市での公演が実現した。
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弓場 繁 1910年~1998年
西宮市塩瀬町名塩出身。弓場勇の実弟。1926年、関西学院中退後、一家とともにブラジルに移住、アリアンサに入植。1930年、アリアンサを訪れた伊藤八十二牧師の熱心なすすめにより、ポルトアレグレの神学校に入学。
1938年、第一アリアンサ教会に赴任。以後、聖公会牧師として日本人各地移住地における伝道を開始。
ブラジル聖公会大司祭、ブラジル日系人キリスト教連盟会長、世界日本人クリスチャン宣教会議ブラジル代表。
著書に「ブラジル開拓伝道物語」。
鈴木悌一 1911年~1996年
西宮市用海町出身。兵庫県立第一神戸中学中退後、1928年に単身ブラジルに渡り、アリアンサ移住地に入植。サンパウロ大学文理科社会学部、法学部を卒業。終戦後の日本人資産凍結解除に、弁護士として尽力。
ブラジル移民50周年記念事業として、ブラジル移民に関する膨大な実態調査を完成させる。
1969年、サンパウロ大学日本文化研究所設立に奔走し初代所長に就任、同大学における日本文学研究に大きな功績を残した。
1964年、日本政府より藍綬褒章を受章。