湯川秀樹博士と西宮
更新日:2018年2月27日
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湯川秀樹博士が、日本人として初めてノーベル物理学賞を受けられた「中間子論」を提唱されたのは、昭和の初期に西宮市の苦楽園にお住まいのときでした。それから50年を経た昭和60年に、博士ゆかりの研究者が中心となって、「中間子論誕生記念碑」を苦楽園小学校の校庭に建てられました。
その碑文には、博士の著書「旅人」から「未知の世界を探究する人々は地図を持たない旅人である」という言葉が刻まれています。
西宮市では、これを契機に中間子論が本市で誕生したことを、市民の皆様をはじめ内外に広く知っていただくとともに、文教住宅都市西宮の誇りとしたいと考え、昭和61年度(1986年度)から「西宮湯川記念事業」を発足させました。
この事業は、基礎物理学分野における若手研究者の研究を奨励し、併せて市民に基礎物理学を平易に解説し、基礎科学に対する正しい認識と学生・生徒の科学する心を養うことを目的としています。
事業を通じて、市民の皆様が科学に対する興味、関心を持ち、また湯川博士の「真理を探究する心」と「平和への願い」が継承、追求していくきっかけになれば幸いです。
(京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室提供)
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