平成27年5月14日 市長定例記者会見
更新日:2020年4月3日
ページ番号:72780378
2015年5月14日資料提供
【発表項目】
(1) 西宮清掃事業協同組合との「災害時における生活系一般廃棄物の収集運搬に関する協定」の締結について
(2) 西宮市プレミアム付き商品券発行事業について
(3) 平成27年度ゆすはら応援隊募集について
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- 【記者発表資料】西宮市プレミアム付き商品券発行事業について(PDF:6KB)
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- 【記者発表資料】平成27年度ゆすはら応援隊募集について(PDF:9KB)
【会見の要旨】
1.西宮清掃事業協同組合との「災害時における生活系一般廃棄物の収集運搬に関する協定」の締結について
【市長説明】
この度、災害時における一般廃棄物の収集運搬を迅速かつ的確に行うために、運搬許可事業者6社で構成される西宮清掃事業協同組合と協定を締結することとなりました。これは、組合のほうからの申し出がありまして、結ばせていただくことになったものです。県や他の地方公共団体との相互応援協定というものはあるのですが、民間事業者との応援協定というのは本市では今回が初めてとなります。聞くところによると、近隣では尼崎市や川西市についてはこのような協定があるとのことです。
今、本市では生活系一般廃棄物の収集運搬業務について、市内の許可事業者に一部を委託しております。65%が民間委託されています。協定内容については、災害時に被災場所などで排出されるし尿や瓦礫を除く生活系一般廃棄物の収集運搬について本市の要請により、西宮市清掃事業協働組合を構成する業者が原則として無償でご協力いただけるということです。
住民は、民間に委託している分が65%、公共で直接やっているのは35%で、「災害になったりした時に民間事業者さんはやってくれるのか?」、そういう心配もあると思います。土砂や浸水被害から出たダメになった家財道具とか粗大ゴミの収集運搬なんかについても応援をしていただけるということになりました。そういったものについては収集に来なかった場合は不法投棄なんかも出かねません。
これにつきましては、5月22日(金曜)午後2時より西宮市役所本庁舎4階の442会議室で協定の締結式を行いますので、ぜひ取材していただいて、PRにご協力いただければありがたいと思っています。
【質疑】
記者:災害とはどの程度のものを想定されているのですか。例えば昨年の夏には台風などによる水害もあったかと思うが。そういったものも含むのか、大規模なものに限るのか。
当局:大規模災害の場合でしたら他市からの応援もありますが、それよりも小規模な、台風であったりとか河川の氾濫であったりとか、そういうような災害に対しても協定でお願いできると思います。
市長:昨年の台風の時にも一部の地域から「土砂がすごい」とか「家財道具などが捨てられている」などの通報をいただいて、市で回収しに行ったということもありました。そういったことについてもこの協定でご協力いただけることになると思います。
2.西宮市プレミアム付き商品券発行事業について
【市長説明】
これはご案内のとおりの商品券なのですが、西宮市ではどういう発行の仕方をするのかということについて説明します。
発行総額は17億7200万円と、過去にやってきた類似の事業に比べてもかなり規模が大きいです。今回、西宮市では2種類の商品券の発行を予定しています。
ひとつは、1万円で買って1万2千円分使えるという、プレミアム率20%の共通券と、もうひとつは、市内の商店街の支援の観点から、大規模店舗などでは使えませんが市内の商店街だけで使えるもので、プレミアム率は30%、5千円で買って6千5百円分使えるという券を2種類併せて出そうと思っています。商品券を使える期間は今年の7月25日から10月31日まで、夏から秋に掛けての3ヶ月間。どこで使えるかというと、市内に店舗があって当商品券の取扱指定をした小売店、飲食店、サービス店、一部大規模店舗などでも利用可能です。ただし、商店街専用券については市内の商店街・小売市場に加盟の小売店・飲食店などのみで利用できます。4月20日から専用のホームページとコールセンターが開設されております。販売方法は予約応募販売とさせていただこうと思っております。インターネットまたはハガキにより事前応募を受け付けます。市内在住の方以外も購入していただくことはできます。要は、市外の方でもお求めいただいて、市内でお使いいただければありがたいなというところです。逆に、当たり前ですが、西宮市の発行する券で、市外でお買物していただくことはできません。2種類の券がありますが、1人当たり3冊ずつ、合計6冊を上限として買っていただくことができます。市内・市外の方、誰でも買えることに加えて、年齢なども問いません。例えば、自分の分と奥さんの分と子供2人の分とで合計4人分、合わせて24冊注文です、というふうに応募していただくことも可能です。
どんな店で使えるのかというのは、5月18日から専用ページで随時公開していく予定です。そして、今は商品券の取扱店舗も募集しておりまして、この告知をお聞きになって、「うちの店でも使えるようにしたいな」というふうな事業者さんがいらっしゃれば、是非5月31日まで受け付けておりますので、そちらのほうにもお問合せいただければありがたいなと思っています。西宮の制度では、店側の負担金はゼロです。そういうところもメリットと思っていただいて、是非、取扱店舗にご参加いただければありがたいです。
先ほども申し上げましたが、5月18日からどの店で使えるかというのは順次、公開していきますし、予約の応募の受付期間は、5月23日から6月14日まで取っております。ホームページか、5月25日頃に全戸配布で応募ハガキ付きのチラシをお配りしますのでそちらをご覧になっていただいてお申込みしていただければと思っています。
【質疑】
記者:設定している17億7200万円を超えた場合と言いますか、要は先着順ということになるのか。また、この事業における市の事業費はいくらくらいなのか。あと、過去の類似事業よりも規模が大きいと仰ってましたが、過去はいつにどのような規模であったのかというのを教えてください。
市長:お申込みいただいた方の中から抽選とさせていただきます。事業費については、チラシなどをポスティングするなどについては、国から出るのですが、西宮市自体が使うお金は4億3553万7千円になります。主にプレミアム分の経費になります。
記者:要はこの20%、30%を上乗せした分を市が負担しているということですか。
当局:プレミアム分は3億1200万円。事業経費が1億2353万7千円。それらは全て国の交付金で賄われます。
市長:事業費だけれども、自腹が痛んでいる分はないということですよね。
記者:これは国の何という事業ですか。
当局:消費喚起生活支援型交付金事業です。また、過去に実施したものは平成21年度に市役所と商店市場連盟の2団体で約1億の商品券を発行した経験があります。
市長:前回の1億円と比べて、今回は17億円なので全然、規模も違い大きな事業になっていますね。
記者:購入限度なのですが、6冊ということですが、抽選が行われた場合に、例えば3冊で申込みした人が2冊しか買えないようなことがあるのか。
当局:3冊で応募があったら、抽選が行われたとしても3冊購入していただけます。
記者:受け渡し方法はどうなるのか。
当局:引き換え販売店舗として42店舗にご協力していただいています。購入の申込み時に、どこの店舗で引き取るのかを選んで頂きます。当選ハガキに記載させていただくのでその販売店舗に引き換えに行っていただくことになります。
3.平成27年度ゆすはら応援隊募集について
【市長説明】
梼原町という高知県の都市ですが、西宮市の友好都市です。その山間にある、西宮とは全然環境の違うところですが、西宮市民からそこに住み込んで町の活性化をする「ゆすはら応援隊」というものの第3次の募集をしたいと思います。今回は3名を募集しようと思っていまして、過去は既に5人に行っていただいています。第1次は平成24年の秋から、第2次は平成26年7月ないしは平成27年4月から行っていただいています。期間は3年間。若い人にお願いする事業になっていまして、20歳以上35歳未満の方が募集対象です。家と車とパソコンは支給されます。そして何をするのかというと農政関係の産業振興みたいなことがひとつあります。特産品発掘とか販売とか、イベントの企画、そんな仕事をすることと、あとは若い方が少ないので学童保育のような子供のサポートみたいな教育事業など多彩な活動をやっております。市民の皆さんへの告知は6月10日に予定していますけれども、是非、広く告知をしていただければありがたいなと思っております。6月14日に西宮市でも説明会を実施します。行こうかなと思っている方は是非、お越しいただければと。6月14日(日曜)の13時、市役所南側の職員会館1階の会議室で、ゆすはら応援隊による活動についての感想などをお話しいただけるような説明会を考えておりますので是非、お越しください。
【質疑】
記者:第1次の人たちはもう帰ってきているのですか。
市長:第1次の人は平成24年秋に行って、27年の秋に帰ってきます。第2次の人はまだ期間が先まであります。
記者:皆さん最大3年でされているということですか。
市長:最大3年ですね。
当局:1人だけ3月でお辞めになられた方がおられますが、他の方は基本3年です。
記者:では1人は帰られているということですね。
当局:今年の3月に帰られています。
記者:それは2年間はやったということですね。
市長:そうですね。
記者:去年の12月くらいにも広報していただいたかと思うのですが。
当局:去年は秋に、今年の4月からの募集の分をしました。
記者:募集時期を変えているのですか。
当局:今回は今年の9月からの分ですが、3人辞めた後に次の人を、となると引継ぎ期間が無いので、任期を重ねています。また、地域を広げて募集したいというご意見があったようです。今まで行ってらっしゃった方たちの評判が良かったのだと思います。なので地域を広げて、人数も増やして募集するということになった。
記者:地域を広げて、というのは?
当局:今までは3つの地区で活動していましたが、6つの地区になります。
記者:応募者数は増えているのですか。
当局:今年の4月からの応募はそこまで多くなかったと聞いています。ただ、いつも複数名の応募はあるようです。
記者:今後は、春・秋・春・・・というように定期的に募集するのですか。
当局:欠員が出たとき、また規模を拡大するときに募集すると聞いています。
記者:では次いつ募集があるかというのはまだわからないのですね。
当局:はい。
市長:これは基本的に梼原町の事業でして、西宮市が協力しているものです。
当局:広報について協力させていただいております。
【自由質問】
記者:市長は5月16日で就任から1年になります。以前にあまり総括しないタイプの人間だと仰っていましたが、あえて、全体的なことを総括していただいて、その後に個別の事を聞いていきたいなと思うのですが。
市長:全体としての総括も何も、やらなければいけないことを順番にやってきている、という1年間でしたね。これ以上「もうちょっとこういう風にしろ」と言われても「ごめんなさい。でもそれ以上パワーを割けません」というところまでやったつもりはあります。あまり余裕を持ってやった感じはなくて、やらないといけないことをやったな、と思いますね。そして、それをずっと続けていくのだろうなと思っています。これまでの、市長になって以降に限らず、自分の仕事をする態度がそれなので、どうであったか、ではなくて、今日起きて、今日しなければならない日程に入っているものをこれ以上ない品質でちゃんとやって、6時間寝るというのを毎日続ける。それを365回くらいやって1年経ったのかなというところですね。あまり、1年掛けて何をするというよりは100%やったことの積み重ねが100%な1年になるのかな、という感じです。ただ、初めは市長って何月くらいにこんなことする、とかいうことがあまり分からずにやっているところもありましたので、また、先に予定が入りだして「おお、何月くらいにそういうことをやり始めるのか」とかね。ということは「今のうちにこういうのをまとめ出さないといけないな」というのがあったりしますよね。そういうので「ちょっと言うのが遅いな」みたいな、ちょっとバタバタでやらないといけないなとか、「例年、そういうのはスルーなので」というものでも「いや、スルーはできないよ」とか、「これは自分でちゃんとやるわ」というのが結構あったんですが、やはり1周まわったのでここからは「ここはこうすべきじゃないか」というのが出てきていまして、そういうものは随時、職員にも言ってきています。1年間、実際に自分で隅々まで歩いてみたのでよくわかったということだと思います。初めの1年はそういうもんだと思っているので、あまり手数を減らしたりとかせずに、ちゃんとやってみるということをやっておかないと、意味がわからずに秘書課が設えてくれているのをいつもやっていたけれども、というのがいっぱいあるのが嫌なので、最初は細かいところにこだわってやったものが多いです。もしかしたら2周目に入って、1周目を踏まえて、もっとシンプルに、もっと効率的にできるようになる部分は出てくるとは思います。課題はどんどん、新しい課題が出てくるわけですから。
記者:市議を15年間されてきたわけですけれども、市長になってみると随分違うものですか。
市長:全然違いますね。市議のときにも物凄く一所懸命に仕事をしたつもりはありました。ただ、全然、やらなければならない仕事の量とか、要求されるレベルとか、勉強しないといけない範囲とかが、比べ物にならないとは思いましたね。真面目にやればやるほどきりがない。「本当はもっとあそこまでやりたかった」、「本当はここまでやりたかった」というのは常にいっぱいありますね。ただ、市議の時に見ていたので、ひとつ職員をとってみても、初めて会う人とかではないので、議員としては仕事をしてきた人たちが今は自分の部下になっているわけですよね。西宮がどんな街かとか、西宮で何が政策課題なのかみたいなものは、当然、市議の時にもやってきたわけですから、そういう部分で言うと、他で一般的に市役所外部から市長になるというパターンよりは断然スムーズにやれていると思います。それにしても想定しているよりは、大変だろうなとは思っていましたけれども、「これほどか」という感じですね。
記者:前回の会見の時にも仰ったと思いますが、選挙の時のマニフェストの捉え方について改めて説明していただけたらと思います。市長としては、マニフェストはどんどん変わっていくべきだというお考えだと思いますが、私たち報道としては、マニフェストには数値目標があってそれに対して実現していくものだと考えます。
市長:「ローカルマニフェスト」という考え方は、今年の春に早稲田大学を退官された、北川正恭教授が三重県知事だった時代に言い出された概念だと思っています。数値目標を立てて、それに向けての達成状況を常に詳らかにする、みたいなものがあらまほしきことという風に、先生はずっと仰っていた。そして、知事を退官なさったあと、早稲田大学マニフェスト研究所の所長になられて、教授をされてきて、この春に退官されたのですが、最後の北川先生の授業の前座を僕が講演することになりました。それは何かというと、マニフェスト研究所の人たちと議論をしていくなかで、マニフェストって本当にそういうものか、という考えを自分がずっと提唱していました。ひとつに、マニフェストっていうのは政治家・候補者が自分で書けます。ただ、それを実現するかどうかっていうのは、彼が頑張ったらそれを実現できるかどうかという問題ではないと思うんですね。日本の地方自治は二元代表性ですので、議会と両輪で、二つの考え方をアウフヘーベンしてより良いものを作っていくということが、そもそも期待されている地方自治制度下において、首長が「このマニフェストで選挙を通ったんです」と、「だからこのマニフェストどおり4年間やるのが正しいのです」と言われたとしても、それはもう一方の民意である議会にとっては、「それは我々としては必ずしも肯んじるものではない」という風になるはずですよね。という中で、例えば達成できなかったというものがあったとして、数値的には行っていないから達成できていないという言い方をするかもわかりません、それがもう一方の民意である議会からしたときに、「達成できてないじゃないか」と、「頑張りが足りない」という風なものもあるかもしれませんが、中には、それを100やるということを議会が期待していない、若しくはそうあるべきではないと、じゃあ100じゃなくて50までだったら良いんじゃないかと、例えば100やりたいと首長は言っていたけれどもそれとまったく正反対の考えを議会が持っていて「100ではない。ゼロにしてください」ということで、持って出た首長が納得してゼロにしたというものもあると思うんですね。そうなったとしたらマニフェストの達成状況というものが、「政権」という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、首長の4年間のタスク推進というものが適正だったかというのを判断する根拠にするのはおかしくないですか、というのが自分のマニフェスト研究所での主張というか、そういったものです。そういう、そもそも二元代表制だというのが、まずひとつの考え方。もうひとつは市当局・職員に対してもずっと期待していることなんですけれども、それは何かと言うと、政策推進を常に見直して欲しい、現時点的解釈をしてください、ということを常に言っている。これはどういう意味かと言うと、例えば「これは平成10年からずっとやっていることですよ。無くしてはならん」と言うとして、平成10年のときに重要であったがそれは今はいらないよというものもあるかもしれないけれども、今でも要るとしても、例えば平成10年に作った、「子供たちが健全に育成される方向性で決めようとしてこういうものが出来ました」というのがあったとして、「その頃と子供って状況が変わっているよね」とか、「法律が変わってる」とかね、「社会情勢が変わっているよね」となったら、「子供たちに健全育成をできる環境をちゃんと用意してあげたい」という命題自体は生きていたとしても、「だから何をするべきなの?」というのは当然、変わっていくはずなんですよ。マニフェストを書いた時点というのは市長選挙の半年前の11月28日に発表しているんです。その時点に提案した政策というのは、その時点で西宮に存在していた政策課題に、その時点の私がどう対応すべきか、ということを書いたものということになります。それから1年半経っているという状況において、西宮市の政策環境というのは物凄く変わっています。となってきた場合に、1年半前に「こういうふうにやるよ」と言っていたものを「もういらなくなったからやりません」とか、「状況が変わったので違うことに転じてやるべき、となりました」というのは当然、たくさん存在します。それを「マニフェストで言っていることをやらないのか」という風なことを言われても「やる必要が無くなったのでやっていません」ないしは、「もっと別の対応方法が要求される状況になっているから、別のことをやっています」という風な部分というのはたくさんあります。本来そういうべきものですよね、という話を北川教授なんかともしました。そして、「その考え、大変おもしろいので、是非、最終講義の前にマニフェストというものの今後のあり方とかに対しての一石を投じる講演をしてくれ」と研究所の方から言って頂いて、そういう講演を受けたこともあります。自分はそういう考え方に立っていますので、マニフェストに書いてあったことを逐語訳して、「あれを今そのままやっていますか」とか、「あれが何パーセントまで来ていますか」とかいうことについて「何パーセントまで来ています」、「来ていません」とかの判断をする発想があまり無いです、ということです。ただ、何が生きていますか、ということは、先ほどの例で言うと、「平成10年に子供たちに豊な育ちを用意しようとか考えたこと自体は今でも必要だ」という風に言ったことと同じで、1.5年前に西宮にどういう政策課題が存在していますかということに対しての課題認識の意識自体は変わっていません。その課題の中には解決していったものもあればより大きな課題があったものもあるし、あの時に存在していると認識していた課題が厳然と今も変わらず市長として1年やったあともまだ残っている問題もあります。それに対してどういう風な解決メソッドを持つべきかということに関しては、当時も自分はできるだけ多くの英知を結集してあの政策を書いたつもりではあります。例えば医療のことであれば、色んな医療関係者に聞きに行って、僕は医療の知識はないわけで、色んな考えを聞いたり政策提案のアイデアをもらったりもしました。ただ、市長になって以降で何が一番変わったのかというと、政策課題に対して使えるリソース量が全然違うなと思った。それこそ、市長選挙の前にあのマニフェストを書くにあたって、どこからか何とか繋いでもらってこの人に話を聞きたいと思って会った人もいます。そういう人に「西宮市長なんですけれども是非お話しをお聞きしたいのですが」と電話一本で聞けたりするわけです。もっと言うならば、今、西宮市役所にたくさんの職員がいて、その問題に対して高い専門性を持って、それについて知識も持っているし、色んな解決メソッドを持っている。そういったものをコントロールできる立場に自分はいますので、あの時に「こういうのが正しい解決策だ」と思っていた解決策よりも、当然、今の僕にはより多くの課題がクリアに見えているはずですし、現にそうですし、それに対して今、僕が持っている解決メソッドというのは1年半前よりは精度の高いものをやっているという思いはあります。それは、元々1年半前に言っていたものと形が違うと言われたときに、それを宗旨変えととるのか、何ととるのか、という問題は、それを判断すべきは住民の皆さんでしょう。4年間、4年前に言ったことをまったく同じとおりやってくれと、進歩もしないでくれと言う人が居てもおかしくない。どんどん臨機応変な態度をしてくれと言う人が居てもおかしくない。ただ、自分の立場としては、常に臨機応変に政策課題に対応していくことをやっていくというつもりですので、4年間経ったときに何の達成率が何パーセントかという数値計算ないしは達成したかどうかということで判断するという発想、それはまったく無いです。ただ、そのマニフェストに書かれた政策課題意識と解決に対する政治哲学というものは変わらないべきだ。それが変わってしまうとすれば住民の皆さんからすれば何を選んだのわからない。それについては1年半が経っていますけれども、課題意識及びその解決に対する態度については何も変わっていない。
記者:1年半後に状況が変わって、一応マニフェストと違うことをやることになった、ということに対して市長としてそれを説明する義務や責任があるというふうに考えますか。
市長:それは常にしていると思いますけどね。つまり今のこの話もそうですし、どういう政策をどういう風な態度でやっていますか、というのは、例えばブログで言うと、全ての日程及びそこでやったことについて特筆すべきものの公開というのは常にやっています。そして、この程度まで政治家としての行動を情報公開している政治家は他に無いと思っています。それこそ、「先行してブログに書いてんじゃねーよ」と、一方で怒られたりするくらい、それは気を付けだしましたけれども、そういったことを言われるぐらい住民の方に考え方とか、今どんな対応をしているのかを伝えていこうということはずっとしています。もちろん、「お前のインターネットなんて誰も見てねーよ」という人もいるでしょうから、ちょうど、今日からですけれども、市政報告・広聴会というものを、去年の秋にもやったものですけれども、今から6月6日まで20カ所でやっていこうと思っています。その中で、「今、こういうものに取り組んでいますよ」という風な話をする。それを聞いた人が「なるほど、1年半前にも今村の話を聞いたことがあるけれども、そういう風な感じになっているのか」という風な、1年半前との比較という観点で見る人も居るだろうし、そもそも1年半前に今村に期待すらしていなかったし存在すら知らなかった人もたくさん居るわけで、「1年半前に今村がどうだったかはどうでもいいけれども、今そういうことを西宮の市長がやっているのか、なるほど」という風に把握していただくのも良いと思います。なので、今聞かれた1年半前からのどう変わったのかの説明を、ということであれば、何がどう変わったかという説明をするのではなくて、今こういうことをやっていますよという説明は常にしていますので、どう変わったな、という判断は、おとり頂いた方に任すべきだなと考えています。
記者:アサヒビールの話、防災の話、教育の話、この3つを総括してみるとどうですか。
市長:アサヒビールの話のときに、自分が市長選挙の前に主張していたのは、中央病院の単独移転というのが西宮の医療問題の解決上、大変問題があると。つまり、県との病院統合を目指すべきであると。それを統合の協議とか相談も全く県に対してせずに市単独で新築をするのは、それより後に統合の協議とかをしにくくなる。よって、絶対に止めるべきであると。そして、「病院の周りにこんなものやあんなものも建てましょう」という計画もあるけれども、それは果たして津門大塚町が最適の立地なのかと。そういうところなどを再検討すべきであると。よって、その当時進められていた、「土地をこれだけ買って消防署、体育館、中央病院そして防災公園を整備する」という事業計画は白紙撤回するべきであるという風な考えを持っていました。そして、白紙撤回以外の撤回が無かった。というのは、協定の中で、「計画が変わるのであれば全部おじゃんですよ」というのがあったので、「中央病院だけやめたいんですけれども」というのは協定上できませんでした。なので、「ちょっとでも変えたいのであれば全部、白紙撤回以外は無いんですよ」ということで、白紙撤回にして本来あるべき状態に持って行こうという風な推進はしました。そして今の状態で言うと、県と、こちらからは病院の統合を希望して話し合いを求めました。統合を着地点とはしない、つまりそれを明確に結論とすることを事前に決めてはいない、県と市による西宮の医療課題の解決のための議論というのはずっとやってきていまして、それを踏まえた新年度の動きというのも今から進めていくところです。結果的に議会と議論をするなかで、あの場所を購入することになり、しかもその購入の目的というのは、最初の自分が「そういう開発は西宮にとって適切でない」と言った開発でない方向。僕は「買わないでいいかな」と思っていたんですけれども、議会から言われたのもそうですし、庁内で検討したのもそうですし、あと、色んな方法を検討したうえで、一旦、市として買って統合病院を目指すというための材料に是非しようよと、そしてそれを元に県と協議をしてくださいと言う風な態度をちゃんととっていこうよと、という風な推進とういうのは、そもそも自分が思っていた、「中央病院を単独で新築移転してしまうと西宮の医療課題の解決に繋がらないね」というところから言えば、十分、そのままの推進をしているというつもりがあります。
西宮の教育の分野で言うと、改めて、市長になって入ってくるリソースが全然違うよね、という話をしたとおりで、何がどう欠けていますかというのを分析すべき材料が一気に増えました。その中で、1年かけて整理したのが、小学校で言うと、市内に40あって、41個目ができるわけですけれども、市内全体で足りているとか足りていないとか議論する意味があまりないわけですね。例えば、山口の人にとって鳴尾で足りているかどうかというのはどうでもいい話であって、鳴尾の人にとって苦楽園で足りていなくても「それは知らないよ」という話になる。そうなったときに、小学校区ごとに地域リソースというのが、適切に配置されているのかという分析というのが、実は庁内では過去にしたことが無かったようです。それを去年、就任以来、色んな情報を集めてデータ化していって、優先順位を作っていくということをしていっています。言っても1年だけなので、しかも去年は有りモノの組織、有りモノの予算でやったことですので、準備・調査を1年間やりました、というところでしたね。
防災については、当時、市のほうから、県からどういう情報が入ってきているのか、最新の情報が発信されていないという状態でした。その時点では「西宮市は啓発活動を中心とした対応に特化すべきだ」と。もちろんその考えは分かるんですけれども、ハード整備はどうなっているのかということに対して、西宮市議会議員だった自分に対して当局は明確な答えができていなかった。もし、県がやらないのであれば市単独での事業推進というのも選択肢に入れざるを得ないのではないかということは言っていました。結果的に平成35年まで10年掛けて港湾の整備をしていくという風な計画が、それより後に発表されましたので市単独でする必要が全く無くなりましたね。あとは県に対して事業推進をしていただくことを要望しつつその進捗について、我々は住民に対して説明する責任がありますから、新しい情報を常に県からもらえるようなパイプをちゃんと作っておくということをする、という風にしていっています。
記者:できたか、できていないか、というところで市長のご自分の感触としては。
市長:「行革をするフェイズに、やっと27年からなります」ということなんですよ。行革ということも、十分、重要なタスクですので、それが想定されていなかった部署ないしは組織体制に「改革しろ」と言って「ハイハイ」と言ってできるものではないです。それをトップダウンで「やれ、やれ」と言うことによってやっている自治体もあることを認識しています。ただし、自分は地方自治において首長のリーダーシップでやるものが重要だとは認識していますが、やりようによっては、より戻しがくることがあると思っている。自分はどこまで行っても任期4年の市長ですが、市役所職員は僕より前から市にいるわけですし、僕が市長でなくなった後も市にいる人間が大半です。そういう中で、彼らが理解できない、若しくは彼らの主体的でない活動による政策推進というのは新規事業でもそうだし、行政改革についてもそうだし、絶対に市長がいなくなった後に戻されます。それは、市役所が戻したいという態度を持つだろうし、自分の後に来るべき首長がそれを戻そうという意思を持つことが考えられる。ということであれば、やはり今村が旗を振りまくって動かないところに鎖を付けて引っ張って進めるような改革や新規事業、それは全て成功しないと思っています。そういうことで言うと、改革をするという体制に27年度の組織体制を作りました。なので、今年からどういう改革をしていくべきか、ということを各部門とかに要求していきます。「あなたの課をこういう体制にしたのはこういう改革を期待しているからですよ」と。行政改革について、色んな分野がありますから、これまで整理をしていないので、積極的に推進しているような所管もあったり、全然進めようとしない所管もあったり、温度差が結構ある。それを一元的に市長部局に置いて管理して、そしてそれを詳らかにするということを27年度中にやりたいなと思っています。だから行政改革に関するロードマップ的なもの、そういったものを27年度中に作って出し、ということをしていこうね、ということで今年の年度当初から各部門と話をしております。なので、結果が出たり出なかったりということから最も遠いものが行政改革だと思っていて、時間が掛かるものだと思っています。4年間1期で方向性はちゃんと出る、という風なものだと思っています。なので、2年目の今年にそういうロードマップを出し、3年目から進みだし、という風になっていくべきものだと思っています。
記者:今後、残り3年で、これはやっていきたいという具体的な政策は。
市長:それは全事業分野に跨りますので。全事業分野でやりたいことがあります。特にどれ、とかはないです。今年も予算案を編集し終わった後、「今年の予算は何型予算ですか」ということを問われたときに、「そんなこと考えずに作った」という感じなんですよ。その時点で必要だと思う事業を作り、予算を配置し、迷ったものについては優先順位の判断をし、ということで結果的に出来上がったものが今回の予算だし、27年度の事業。それが当初から「これに力入れるぜ」とか「これをやりたいと思っているのでこれに手厚く」とかでやって結果がああなったわけではないのですね。なので、今後3年間についても、「あとの3年でこういうところをやり切りたいと思っています」というのがあります、と言うよりは、最初に申し上げた、毎日やらなければならないことをやっていって、3年が過ぎて、それがどうだったかというのは、3年後に判断されるべきなのだろうなという風なつもりでいます。
記者:1周まわってみて「ああすべきだった」と思うようなことがあると仰っていましたが、具体的にどういうことでそう思ったのですか。
市長:やり様がダメだと言ったものは殆ど無い。スケジューリングが掴めていなかったために、「せっかくなのに間に合わなかったな」みたいなものはありました。スケジュールを考えるときに、やはり予算案を作るときに「それを盛り込みたければいついつまでにテーブルに乗せておかないとダメだね」とか、そういうことの中には「これは条例改正が必要となるので12月の議会に上げないとダメだね」と、「12月の議会に上げたいのであれば・・・」とか、色んなものでタイミングが読みきれなかったものが結構ありました。それは反省点としてあるわけです。殆ど説明の無いままで議会に上げて、「そんなもの聞いていない」と言われて通らなかったものが実際にあります。そういうのを踏まえると、新年度の事業推進をどうしていきますかということをこれまで話をしましたけれども、「こういうことを何月くらいまでにやっていきたい」と所管が言ったことに対して、「だとすれば、これはこういう条例改正が必要になってくるね」とか、若しくは予算の時点で「こんなんやりたい」と突然上がってきても議会がびっくりしますよと。「だとすれば何月くらいから所管事務報告という形とかで議会に説明を、生焼け状態でもいいからしていったらどうか」ということは結構、多く出てきていました。去年の一番の反省点があるとすればそれだなと思っています。自分自身がスケジュール感を掴めていなかったことによって、「何とか間にあわさなきゃ」で、手順的にもっと余分に踏めればスムーズに行ったのにね、というものがあったので、その反省点を今年は活かせるかなと思います。議会に対しては「こういう検討をしようと思っています」的なものとか、「整理だけしてまだ何も手を付けていませんが」というものなどが所管事務報告という形で、早いうちから説明を多くして、意見もたくさん頂いて、検討できるものをどんどん取り込んでやっていけばいいじゃないかということは最初に言いました。庁内に対しては、そういうスケジュール意識を強く持ってやっていって欲しいということは言いました。
記者:具体的には何が一番心残りだったのか。
市長:心残りというほどのことではないですよ。通らなかったら通らなかったで、残念とかではなくて、通らなかったという状態からできることを考えるという風に常にやるので、やり残し感はまったくないんです。やれなかったことの上に何かを積んでいこうと思っている。ただ、もっとスムーズだったなと思うものはいっぱいあります。
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