にしのみや歴史見聞録
鳴尾の義民碑(甲子園三番町) 命をかけて守った水
このコーナーでは、西宮の歴史スポットを紹介します
※アクセス…阪神甲子園駅下車、
北へ徒歩約15分
今からさかのぼること400余年、武庫川の分流枝川を横切る地点の北郷伏樋(用水路)をめぐって川上の瓦林村と川下の鳴尾村による水争いが生じ、大乱闘になりました。その争いの詳細については、さまざまな言い伝えが残されています。
長い日照が続き、深刻な水不足に陥っていた鳴尾村の人々は、水を分けて欲しいと瓦林村に頼みますが、同じく水不足に苦しむ瓦林村が首を縦に振ることはありませんでした。稲作を中心とする農村の人々にとって、稲が枯れることは死活問題でした。
「このままでは飢え死にだ」。水を盗むことは重い罪であることを覚悟のうえ、鳴尾村の人々は、枝川の川底を掘り、瓦林の水を引きこみました。このことが瓦林村の知るところとなり、近隣の農村を巻き込んで、多数の死者を出す大事件に発展しました。
豊臣秀吉臣下の片桐且元の裁きにより、鳴尾村には用水供給が認められた代わりに、事件を起こした罪として鳴尾村、瓦林村の関係者多数が死罪となりました。
北郷公園にたたずむ鳴尾の義民碑。家族や村の未来を守るため、命をかけて水を守った人々を義民としてあがめています。