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2011年10月10日 第1375号

にしのみや歴史見聞録 名塩蘭学塾跡(名塩1丁目)
洪庵の妻・八重と蘭学のつながり

このコーナーでは、西宮の歴史スポットを紹介します
写真:緒方八重の石碑
※交通手段…JR西宮名塩
駅下車北西へ徒歩約15分
紙すきで有名な西宮市名塩。
この地には、幕末から明治時代初期(1862年~1869年)に「蘭学塾」が開かれていました。
蘭学は日本の医学や物理学を大きく進歩させることとなった学問です。
名塩に蘭学塾を開いたのは、緒方洪庵が大阪で開いていた「適々斎塾」で蘭学を勉強していた伊藤慎蔵です。
伊藤慎蔵がなぜ名塩で蘭学塾を開いたのか、それには緒方洪庵の妻・八重が深く関わっています。
名塩出身の八重は、適々斎塾の門下生のお世話をしていました。
その塾の塾頭を務めるほど秀英だった伊藤慎蔵は、八重の紹介で名塩出身の女性と結婚しますが、その妻が病気にかかってしまいます。
八重は慎蔵に奥さんの病気を治すために名塩に来ることを勧めました。
そして、名塩の村で蘭学塾を開いてもらおうと考えたのでした。
開設後、この蘭学塾では名塩の青年たちが熱心に勉強し、また三田や丹波、遠くは美濃や豊後からも集まり、多くの優れた人材を輩出したといわれています。
現在、蘭学塾のあった建物は残っていませんが、JA兵庫六甲名塩支店の脇には、名塩の蘭学塾を記念する緒方八重の石碑が残っています。

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