社会科教育研修 歩こう知ろう西宮「生瀬の文化財を歩く」
更新日:2019年10月23日
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平成29年(2017年)8月24日、学校の先生を対象とした研修として、実際に歩いて地域の歴史を知る社会科教育研修「歩こう知ろう西宮」が開催されました。
小学校3年生と4年生の社会科では、子供たちが住んでいる西宮市について勉強します。子供たちは「西宮めぐり」で、市内の各地を見学し、作文や新聞にまとめます。また、中学校の歴史学習では、各時代の出来事と西宮の出来事を関連させて学習することもあります。
そのような授業に役立てるために毎年、研修を企画していますが、今回のテーマは「生瀬の文化財を歩く」でした。
JR生瀬駅からスタートし、有馬街道、生瀬温泉跡、生瀬皇太神社などを巡って、最後に国指定重要有形文化財がある浄橋寺まで歩きました。
道すがら、研修の講師を務めた西宮市教育委員会文化財課の合田課長より、歴史的な経緯や背景の説明を受けました。
【有馬街道】
生瀬から船坂を通り有馬温泉へと、太多田川の流れを左手に見ながら上流へ向かう道が旧有馬街道にあたります。
この街道は多くの著名人が訪れたことでも有名です。文明15年(1483年)、本願寺八世蓮如が湯治に訪れた際、生瀬・船坂を通って有馬へ向かったと言われています。
また、生瀬から船坂へ至る街道は、有馬への湯治に利用されるだけでなく、戦国期には軍勢が盛んに往来していました。
【生瀬温泉跡】
今から100年以上前の明治時代には、生瀬に温泉施設があったそうです。
現地には「生瀬温泉」碑(明治34年3月建立)が建てられているほか、傾斜地を利用した上下2段の岩風呂風の浴槽、庭園風の石段や石灯篭などが今でも残っています。
【生瀬宿】
生瀬は古くから、京・大坂から丹波・但馬、有馬への道筋として、旅人の往来が多く、江戸時代では幕府指定の宿駅として栄えていました。しかし明治に入ると宿駅制度の廃止、鉄道やバスの発展に伴って、交通の要地としての機能を失い、静かな農村集落となりました。
【生瀬皇太神社】
文明5年(1473年)兵火にあい、天文16年(1547年)細川時元により再建。その後、天正年間(16世紀末)には羽柴秀吉の別所長治攻めにより再び焼失するも、寛永3年(1626年)に再建されました。
【浄橋寺】
浄橋寺は、国道176号が武庫川に渡る生瀬橋を見下ろす高台にあり、生瀬の宿場跡の東に位置します。
法然上人の高弟で浄土宗西山派の祖と仰がれる善恵坊証空(西山上人)によって鎌倉時代初期に開かれた寺で、西山上人開基の四筒寺の一つに数えられる名刹です。
浄橋寺の本尊は、本堂に安置される阿弥陀三尊像です。ヒノキ材の寄木造りで、彫眼・漆箔の造りですが、三尊の台座・光背が後補であるほか、両脇侍である菩薩像の天冠台・足先・指先その他の細部に後補がみられます。明治37年2月18日、国指定文化財となりました。
研修に参加した先生からは、
「近くの学校に勤務していたが実際に見たことがなかった所が多くあったので、非常にためになった。」、
「今回の経験を授業に生かしていきたい。」、といった感想が聞かれました。
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【浄橋寺】
浄橋寺のマーカーリスト