今年で100回目!夏の甲子園の歴史を「アーカイブ西宮」で振り返る!
更新日:2018年8月16日
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西宮市役所1階の展示スペース
市役所1階の展示スペースで西宮の歴史を紹介
西宮市役所1階の展示スペースをご覧になったことはありますか? こちらでは「アーカイブ西宮」として、西宮の歴史を伝える写真や資料を展示しています。
展示内容は1から2か月ごとに変わります。
現在は、西宮の夏といえば甲子園!ということで、「白球の夏 甲子園」と題して、昔の甲子園球場の様子や、過去の大会での西宮勢の活躍などを紹介しています。
今回は、その一部をご紹介しつつ、夏の甲子園の歴史を振り返ってみましょう。
当時の写真から甲子園の歴史を振り返る
応援席(樋口賢太郎氏資料)昭和6年頃
戦前の「全国中等学校優勝野球大会」(夏の甲子園)の様子です。広い会場が大入り満員。野球人気の高さがうかがえます。
第1回大会は、1915年(大正4年)に大阪の豊中グラウンドで開催され、第3回大会からは鳴尾運動場へ。甲子園球場が完成したのは1924年(大正13年)のことです。
最初は10校から始まった大会ですが、年々参加校が増え、人気も増していったため、より大規模な会場が求められたのです。そこで阪神電鉄が、武庫川改修工事によってできた広大な敷地を買い取り、「甲子園運動場」を建設します。
市立西宮高校生徒による初めてのプラカード先導(市民提供)昭和24年
毎年、夏の甲子園の開会式では、市立西宮高校の女子生徒が国旗や大会旗、出場校のプラカードを持って先導しています。
この写真は、初めて市立西宮高校の女子生徒が式典誘導係を務めた、1949年(昭和24年)の第31回大会での一コマです。
生徒にとっては一生の思い出に残るこの役。毎年大人気で、学校内での選考会を経て選ばれた生徒(第100回記念大会の今年は134名)が務めています。
昭和56年 第43回全国高等学校野球選手権大会
昭和56年夏の大会の決勝戦、7回裏の報徳学園の攻撃です。この年、報徳学園は7度目の出場にして、見事優勝。地元西宮の高校の活躍に、市全体が活気づきました。
盛り上がる100回大会!
現在、2018年夏の甲子園が開催中です!記念すべき100回大会は、史上最多の56校が出場。今年も高校球児たちが連日熱い戦いを繰り広げています。甲子園の街・西宮で盛り上げていきましょう!
また、「アーカイブ西宮」では、今後もこのように西宮の歴史を伝える写真を展示していきますので、市役所にいらしたときはぜひご覧になってください。
市民のみなさんからの写真も募集しています。家の前や路地裏、生活風景など......。もしご提供いただける写真があれば、市役所東館8階の情報公開課歴史資料チームまで。
■西宮市情報公開課歴史資料チーム
- 電話:0798-35-3798
NISHINOMIYA COMMONS編集部
西宮市役所のマーカーリスト