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「甲子園出場は東大進学ぐらい難しい」とよく言っていました。<報徳学園高等学校野球部前監督・永田裕治さんに聞く>

更新日:2017年6月12日

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報徳学園高等学校野球部前監督・永田裕治さん.jpg
選手にノックをする報徳学園高等学校野球部前監督・永田裕治さん


「全員野球」で甲子園をめざした23年間

野球部の監督を引退してユニフォームは着なくなったことは、時間が経つにつれて寂しさを感じることもあります。でも、今は生徒たちの進路を預かる立場になって進学先候補を訪問することも増え、監督時代よりも忙しさは増したような気がします(笑)
小学生だった1974(昭和49)年、「さわやかイレブン」と呼ばれた池田高校と決勝戦を戦った報徳学園ナインの姿をみて同校での野球を志し、私も甲子園に出場して優勝させてもらいました。その後、私が監督就任してからめざしたのは「甲子園の常勝校になること」と「全員野球」という相反するテーマでした。

選手たち

甲子園に出場すれば良い、勝てば良いという勝利至上主義なら「全員野球」はやりません。でも、高校野球は教育の一環ですから、勝てば良いだけじゃないと考えていました。もちろんそんな考えだけでは、甲子園に勝つことはおろか出場さえ難しい。だから練習は厳しくしましたが、選手たちがよく付いてきてくれました。一番難しい方法で甲子園での勝利をめざし続けられた23年の監督生活は、本当に幸せでした。

生まれも育ちも西宮。私にとって西宮は心が落ち着く街。

高校野球が第100回大会を迎えるというのは素晴らしい。おめでとうございます。甲子園球場は、高校生までの野球人にとっては憧れの地。私はよく「甲子園に出場するのは、東大に進学するぐらい難しい」と言っていました。甲子園出場という目標に到達しない子がほとんどですから。でも、あくまで高校野球は教育の一環ですから、憧れの地でのプレーをめざして切磋琢磨して努力して絆を深めていく、その過程が一番大切だと思います。

報徳学園高等学校野球部前監督・永田裕治さん

私自身、甲子園球場がある西宮生まれの西宮育ちで、今も西宮に住んでいます。でも、本当の西宮の素晴らしさを感じるようになったのは、教え子たちの進路となる大学や企業を訪ねるために、日本中各地に赴くようになってから。地元である西宮に戻ってくると、なぜかホッとするんですよ。環境的に海も山もあって、交通のアクセスも良い。私にとってはそれ以上に心が落ち着く場所なんです。私の家内も西宮出身ですが、絶対離れたくないと言うぐらいの西宮好きで、以前も「あなたが遠くの学校に変わるようなことがあっても、単身赴任で行ってね」と言われていましたから(笑)

プロアマの垣根を取り払い、野球の未来につながるイベントを実現したい!

報徳学園高等学校野球部前監督・永田裕治さん

報徳学園は西宮にある学校ですから、西宮の発展に貢献できる人材を育てて行くことが、我々教育者の使命だと考えています。加えて、街の素晴らしさは離れて初めて分かるものですから、一度西宮を離れてしまっても戻ってきてもらえるよう、西宮が素晴らしい街であり続けるお手伝いをしていきたいですね。
私自身は、プロアマの垣根を取り払い、子どもたちに野球の楽しさを実感してもらったりテレビで見るプレーヤーを通じて野球に触れる機会を提供する『ベースボールフェスタ』の実現に取り組みたい。なぜなら、高校野球の現場で野球人口の減少を如実に感じていたから。昔は運動神経の良い子の多くが野球をしていましたが、今はサッカーや別のスポーツをやっていて、日本の野球の未来に危機感を感じています。
このような機会を通じて、野球を身近に感じてもらい、親しみを持って好きになってもらうきっかけを与えたいんです。そしてイベントが実現すれば、高校野球はもちろん野球界全体の発展につながると考えています。多くの方々の助けを借りながら実現に向けて取り組みたいですね。

NISHINOMIYA COMMONS編集部

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