石井市長の「てくて句 歳時記」
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今月の一句!
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一望の いちご畑や 鳴尾村
西宮市長 石井 登志郎
明治の終わりごろ、当時の鳴尾村南部(阪神電鉄以南)は、海辺まで見渡す限りいちご畑一色でした(現在の高須町1・2丁目の南側辺りも砂浜で、いちご畑が広がっていました)。明治38年に阪神電鉄が開業したことと相まって、「鳴尾のいちご狩り」は一躍有名となり、大阪や神戸から多くの家族連れ等が訪れ、相当なにぎわいだったそうです。
しかし、昭和9年の室戸台風による甚大な被害や、その後の戦争の影響もあって、いちご栽培は衰退し、戦後には、かつてのいちご畑は宅地へと変わっていきます。
そうした中でも、鳴尾いちごを途絶えさせてはならぬと、鳴尾地域で栽培を続けている農家があります。また、鳴尾いちごを今一度広めようと、武庫川女子大学を中心に、鳴尾小学校や鳴尾東小学校でも栽培が行われています。同大学で収穫したいちごは、市内洋菓子店の協力のもと、いちご風味のクッキーになるなど、鳴尾いちごの伝承と普及に向けた活動が行われています。
「いちご」は初冬から店頭に並びますが、初夏の季語です。かつての鳴尾村は、この季節には甘いいちごの香りに包まれていたことでしょう。私たちの暮らしはこうした歴史の上に紡がれているのですね!
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いちご狩りのリーフレット